ぼちぼちと都市に暮らす

住んでいる大阪の街についていろいろとかんがえてみる。

自治権を守った東京特別区と自治権を逃した大阪市民

現在の自治法上では、大都市は都政と指定都市の2つです。同じ大都市制度なのに、都政では特別区として自治権が与えられ、指定都市では行政区として自治権が与えられていません。自治権についてはいろいろと考え方はあるでしょうが、一般的には自治体でであることのようです。
どうして東京の区には公選区長と議会が与えられ、大阪市には公選区長も議会もないのかは、歴史的な経緯があるようですが、はっきりとした理由は分かりません。国会図書館などで詳細に調べれば、理由が分かるのかもしれませんが、ネットなどで見る限りは明確な経緯はありませんでした。
実は区は市よりも設立は古いのです。歴史的には郡区町村再編法により、三府(東京府京都府大阪府)の下に「区」が設置されました。東京府には15区、大阪府は4区、京都府は3区です。府自体は江戸時代から用いられており、江戸幕府にとっての「府」は軍事・政治の拠点であり直轄地でした。余談ですが明治維新後には、函館府・越後府甲斐府江戸府神奈川府度会府京都府大阪府奈良府長崎府の10府があったそうです。明治12年に府の下に区が設置されましたが、市制が設定されるのは11年後の明治22年です。
東京市の区議会については、資料が見当たりませんが、大阪の「東区」は資料が残っています。それによると市制が施行されても、東区は法人格を有し、区議会があり、学校設置区として高等小学校や実業学校を持っていました。しかし昭和15年地方税法改正で、課税自主権がなくなり戦争の時局によって、全財産を大阪市に寄付し法人区としての歴史に幕を閉じます。
これに対して東京の区がどうであったかの資料は不明ですが、昭和18年の都政移行までは東京の区は法人区であったようです。なぜ大阪の区は法人格を失い、東京の区は法人格が残されたのかも、はっきりとした理由が見つかりませんでした。しかし、これが後々で東京の特別区による、自治権回復運動に発展していくことになります。

昭和18年の府市統合により、東京都が誕生するとともに、旧東京市の区は東京都の内部的下部組織となります。そこから戦後の民主化推進で、昭和22年の地方自治法改正によって特別区が設置されます。ところが昭和27年の改正自治法によって、東京都の内部団体となり、区長公選制が廃止されてしまいます。

この第1次制度改革で区長公選制が廃止され、事務が制限され権限は大きく後退します。東京都が基礎自治体広域自治体を兼ねることになり、指定都市のような体制になってしまいました。それから特別区自治権回復に向かっていきます。昭和50年には区長公選制の復活や保健所設置など、権限を回復していきますが、それでも都の内部団体でした。

特別区基礎自治体と認められたのは、平成12年に法律上の「基礎的な地方公共団体」として位置付けられて今日に至ります。東京都の特別区は半世紀にわたり、自治権回復を運動してきたことになります。それに比較して大阪にも過去に法人区が存在したにもかかわらず、区における自治権は一向に顧みられることはありませんでした。

大阪都構想住民投票の際に、「大阪市自治権が奪われる」という声がありましたが、東京都の特別区自治権回復運動と比べると、自治そのものの意識が希薄と感じます。指定都市の行政区は内部団体でしかありませんが、大阪都構想自治権を獲得するチャンスでもあったのに、組織存続のためにこのチャンスを潰してしまいました。

自治権を持つ特別区が嫌だということは、大阪市民は大阪市の内部団体で生きていくことを選択しました。区の自治権を放棄した大阪市民の選択は、これからどのような市民サービスの拡充と大都市としての成長を作っていくのでしょうか。